静岡県の耳鼻咽喉科医会は、昭和25年に鈴木俊次先生(当時静岡日赤耳鼻科部長)を会長として発足します。それ以前の歴史については大先輩の残した記録もありますが、県内すべてを網羅したものではないので省略します。
昭和38年、日本耳鼻咽喉科学会(日耳鼻)が学会としての支部を各県に設けて統一しようという意向を示したため、これを受けて静岡県においては、従来の医会が日耳鼻静岡県支部として発足することになりました。そして鈴木俊次先生が支部長も兼任、昭和47年までの22年間、会長を務められました。
また、昭和44年から現在の地方部会会報としての「額帯鏡」が発行されるようになりましたが、その記録によると、例えば、昭和39年から40年にかけて沖縄で大流行した先天性風疹症候群に対して静岡県耳鼻咽喉科医会として各方面に働きかけ、大規模な救済活動や募金活動に尽力した様子などが掲載されています。
昭和48年、22年間医会会長および支部長を務めた鈴木先生に代わって、柴達先生が会長を務めましたが、この時期は静岡県の耳鼻咽喉科においては大変な変動が見られたようです。すなわち、静岡県支部から地方部会への移行と医会の独立、浜松医科大学の設立などです。
新たに支部に変わって日本耳鼻咽喉科学会静岡県地方部会が発足して、浜松医科大学の耳鼻咽喉科教授が会長に就任。これに伴い、地方部会とは立場を異にする別の組織として新しい静岡県耳鼻咽喉科医会が発足し、以後、村沢昌人、米山正雄、植田尚男、野口愃、本橋弘行、荒木利夫、矢島洋、佐野真一、向高洋幸、内田實の各先生が就任され、現在の伊藤靖郎先生で13代目となります。
昭和50年以降は地方部会と医会は車の両輪のように機能し、医会としては会員には日常の臨床にすぐさま有用になるようなテーマを心がけての活動や研究会の後援をして、対外的には県民を対象に耳鼻咽喉科学普及と理解のための社会的・公共的な活動をしています。
最近の医会の活動状況をいくつか紹介します。
昭和55年に日耳鼻静岡県地方部会保険医療委員会として、機関紙である「額帯鏡」に「静岡県に於ける耳鼻咽喉科診療の実態(第一報)」を発表しました。これは社保、国保の審査委員の先生に依頼して、県内で耳鼻咽喉科を標榜する全ての診療所と病院のレセプト件数、実日数、点数を老人、社保本人、社保家族、国保別に調べ、全医療機関の総件数、総実日数、総点数をはじめ、1医療機関当たりの平均や点/件、点/日、件/日などを報告したもので、平成15年の第25報まで続けました。
しかし、この調査では大枠の変動は把握できますが耳鼻咽喉科特有の処置や検査などが、どの程度行われているかなど詳細に把握できません。そこで、より詳細な調査を目的に昭和62年に有志を募って「静岡県耳鼻咽喉科外来診療検討会」を植田尚男先生などが中心になり発足させました。第一回目の調査は、昭和62年10月に30の医療機関(開業医)が参加して実施しました。
調査項目は70に上り、結果は「耳鼻咽喉科外来診療の実態調査報告(第一報)」として冊子にまとめられ、その後内田實先生が中心となり調査を続け、平成29年3月発行の第30報にて調査を終了いたしました。第30報は43の医療機関を対象に155項目にもわたるアンケートを実施し、結果・考察を加えて58ページに及ぶ冊子として発行しました。この資料は日本耳鼻咽喉科学会にも送られていて、耳鼻咽喉科保険診療の重要な資料となっていました。
静岡県は全国でも有数のスギ・ヒノキ科花粉飛散地域であり、したがって、花粉症患者も非常に多くみられます。
そこで平成3年以来、静岡県花粉症調査委員会を発足させて、静岡県東部、中部、西部の10地点を定点としてスギ・ヒノキ科花粉の定点観測をはじめました。毎日の飛散花粉の状況は午前中に事務局(耳鼻咽喉科荒木医院に設置)に送られ、センターより医会会員やその他の医療関係者、さらにインターネットを通じて、広く県民に飛散情報を提供していました。
さらに、その情報は種々の花粉情報機関(NPO法人など)を通じて静岡県の花粉情報として全国に発信され、静岡県下の特に耳鼻科医~~非常に重要な資料となっていました。調査委員会の測定データは気象会社に提供され、日々の飛散予測などマスコミを通じて毎日発表されることにより、花粉症患者にとっても日常の生活上参考になっていましたが、気象会社による独自の花粉測定や飛散予測が行われるようになりその役割を終え、令和5年に30回目の調査報告をもって30年にわたる計測調査を終了しました。
医会主催の講演会は年2回開催しています。基礎的なテーマはなるべく避けて、臨床に直結するようなテーマを選んで行うようにしていますが、時にはトピックスとして新しいテーマを取り上げております。学術講演会については、講演会の日程をご覧ください。
一般の県民を対象として、3月3日付近の土曜日に「耳の日」講演会を開催しています。
3月3日は「耳の日」ですから「耳」に関する話題と「耳鼻咽喉科・頭頚部外科」の関する話題を1演題ずつ、一般市民向けにお話ししております。因みに「耳の日」が3月3日というのは単なる語呂合わせではありません。「耳の日」が制定されたのは、昭和29年(1954年)3月3日です。耳鼻科学会が音頭を取り、厚生省(当時)のバックアップで制定されました。
一般の人々が耳に関心を持ち、耳の病気のことだけではなく、健康な耳を持っていることへの感謝、耳を大切にするために良い音楽を聴かせて耳を楽しませてあげるために、あるいは、耳の不自由な人々に対する社会的な関心を盛り上げるために制定されました。この日は、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもあります。3月3日で「ミミ」という語呂がよいのでこの日に決まったと言われています。